王舎城(おうしゃじょう。サンスクリット語:ラージャグリハ、パーリ語:ラージャガハ)は、お釈迦さまの時代にあった摩訶陀(まがだ)国という強大な国の首都であったところで、西の舎衛城とともに、お釈迦さまの伝道活動の大きな拠点の一つでした。現在の地名ではラージギルと呼ばれています。
王舎城の東方には霊鷲山(りょうじゅせん。あるいは耆闍崛山、サンスクリット語:グリドゥラクータ、パーリ語:ギッジャクータ)という名の小高い山があります。グリドゥラ或いはギッシャとは鷲の意味で、クータは峰の意味を表し、山頂付近に鷲の形に似た岩があることからその名が付けらたと一説で伝えられています。既述の観無量寿経はここで説かれたものですが、その他にも『無量寿経』や『法華経』『般若経』など、多くの大乗経典がこの場所で説かれています。
ちなみに王舎城の位置を特定し、同時に長い間場所も忘れられていたこの山を、仏典上の霊鷲山と同一と確定したのは日本人が率いた探検隊で、しかも明治36年(1903)と案外に最近の話だそうで、驚きます。
さて、本文中の“観無量寿経が説かれるに至った背景”とは、観無量寿経中でも説かれてある、これらの場所で実際に起きた「王舎城の悲劇」という有名な説話に依ります。
今からずっと昔、釈尊が千二百五十人の比丘と三万二千人の菩薩と共にマガダ国の首都、王舎城郊外の霊鷲山にてしばらくのあいだ腰を下ろしてあった頃のお話です。
この時代の摩訶陀国は仏法を篤く信仰する頻婆娑羅(びんびさーら)王が治めており、首都王舎城では、その妃である韋提希(いだいけ)夫人と共に、彼らの息子であり王子である阿闍世(あじゃせ)太子の日に日に悪くなる粗暴に頭を悩ませながらもあたりまえの日々を送っていました。
◆
ところがある時、釈尊の従兄弟であり弟子であるものの、その地位を狙う提婆達多(だいばだった)という僧侶が神通力をもって神変を示し、阿闍世の信頼を勝ち取ります。そしてそんな悪友にそそのかされ、阿闍世は頻婆娑羅を門番を配した七重の部屋に監禁してしまい、餓死を強要したうえに王位を奪うという事件を起こしてしまいます。
ひとつの因果としてこれを受け入れる頻婆娑羅。釈尊はそんな王の願いを聞き、弟子の目連(もくれん)と富楼那(ふるな)を遣わし、毎日王に八戒を授け説法せしめます。
また、そんな王に韋提希は自らの身体を清め、その上に蜜を塗り、衣類で隠すなどして食べ物や飲み物を隠し持ち、頻婆娑羅の牢まで密かに通い続けます。
二十日あまり経ち、白馬に乗り牢へ訪れた際に阿闍世は、仏弟子と韋提希の訪問を知り、激怒した挙句に母の命をも奪おうとします。しかし、当時の大臣である耆婆(ぎば)と月光(がっこう)に、「今まで父王を殺した王子はたくさんいるが、いまだに母親を殺して大成した王など聞いたことがない。」と諌められ、それを止めます。しかし、韋提希もまた頻婆娑羅と同じく牢に幽閉してしまいます。牢に閉じ込められた韋提希はそれからすっかり憔悴しきり、霊鷲山のある東方に向かって釈尊に願い、これを聞き入れた釈尊は弟子の阿難(あなん)と目蓮を韋提希のもとへ遣わせます。
やがて、韋提希を思った釈尊は、法華経を説いてあったのを中座し、王舎城の牢へ降りて来られます。そこで韋提希は宝蓮華に座す釈尊を拝してひれ伏し、泣きながらに、阿闍世の様な子を産んだ自らの因縁を、釈尊と提婆達多の因縁を、そんな娑婆世界を、忌み嫌い、苦悩のない世界がないか尋ねます。そこで釈尊は光明の中に十方の浄土を現わし、どの浄土に生まれたいかと尋ねられます。その中で韋提希は、阿弥陀仏の浄土―すなわち極楽浄土への往生を願い、教えをいただきます。
ひどく掻い摘んだものではありますが、この一連の流れが“観無量寿経が説かれるに至った背景”であり、先ほどお話しました様に変相図の向かって左側の縁に下から上へと11段に分けて描かれてあります。
しかしどの様な現実世界の事象にもその原因や始まりとなる縁がある様に、この「王舎城の悲劇」にもやはりその背景となるお話がまだ更にあるのです。
実はこの阿闍世王子には出生の秘密がありました。
上のお話の更に十数年前のお話を少し紹介したいと思います。
王である頻婆沙羅と、その妃である韋提希は幸福に暮らしていましたが、二人には世継ぎがおらず、それが大きな悩みでした。
そこである時、占い師に観てもらったところ「今、山中で修行をおさめている仙人が三年の後、命が尽き、その後、その生まれ変わりとして王子を授かる。」とのことでした。
ところが仙人の寿命が尽きる三年間を待つことが出来なかった頻婆娑羅は、家来を遣わしてその仙人を殺してしまいます。しかしそこで仙人は「王子に生まれ変わったならば同じ報いを王に与えるだろう。」と言い残して死んでいきます。その後まもなく、占い師の予言通りに妃は懐妊します。そこで再び占い師を呼んで尋ねると、やはり「生まれてくる子供は仙人の恨みがありますから、きっと大王様に仇をなすでしょう。」との予言をうけます。
彼らの言葉を恐ろしく思った頻婆娑羅は、下の階に無数の刃を突き立て、その部屋への落とし穴を設けた高層の建物を築き、そこを分娩室とし、韋提希にその落とし穴へ子供を産み落とさせました。
しかし生まれてきた子は、刃でその小指を失ったものの一命を取り留めます。
生まれてきた我が子の生きている姿を見た王と妃は、その後、自らの行いを恐ろしく思い、一転して愛情を持ってその子を育てるのですが、家来達にも徹底してこの出生の秘密は王子には明かさなかったそうです。
しかし、王子がすっかり成人したある日、自らの出生の秘密を知る日は無情にも来てしまいます。
さて、勘の良い方はもうお気づきかもしれませんが、この王子が阿闍世であり、この出生の秘密を阿闍世に知らせてしまう人物が提婆達多です。
世継ぎがほしいと思った王と妃、釈尊に取って代わろうとした修行僧、怒りの心に囚われた王子。いずれの人物も、自己中心的な考えに基づき行動し、悲劇を増長させてしまったのです。このお話は、まさに人間の愚かさを表しているものに他なりません。
わたし達は自己の欲望が満たされることが救いや充足だと安易に考えてしまいがちですが、反対にそれぞれが自己中心の思いで生きていることが、次から次へと人間の持っている本質的悲劇を実現化させてしまうという教訓を今日まで伝えているのが、この二千年以上も前のインドでのお話なのです。